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家事も仕事も不器用な「他人軸」で生きた私が、10年後に気づいた「自分軸」の大切さ

uca.
uca.

こんにちは!uca.です。

私は現在、2人の子どもの子育てをしながら
夫とハリネズミ1匹と暮らすかたわらで
絵画教室の講師をしたり絵を描いたり推し活を
したりして生活をしています。

そんな私はずっと自分に自信が全く持てない人間でした。
自信がなくていつもビクビク、オドオド…
そんな自分が嫌で、可愛い子ども達がいるにも関わらず
つい最近まで、常に「こんな自分には価値がない」
「消えてしまいたい」と思っていました。

つむり
つむり

そうだったんだ~。
それでこの、つむりが生まれたってわけ?
マイナスしかない要素から生まれたって
ちょっと複雑なんだけど・・・

uca.
uca.

確かにね。
でもね、それもあったからこその今なんだから
許してほしいな~。

つむり
つむり

随分な拗らせ具合だけど・・・ま、いっか。
どうせならこの際、何でそんな拗らせ人間が
こうしてブログとか書くようになったのか
聞かせてくれない?

uca.
uca.

そうですね。
今回は私のこの10年を振り返ってみましょうか。
もし、興味を持ってくださる方がいれば
読んでみてください。

「お母さん」は私の理想だった

長女の妊娠、出産を期に仕事を完全に辞めて下の子を保育所に預けるまでの
約10年、私は専業主婦でした。

私は子供の頃、将来なりたいものと聞かれて
看護婦さん、薬剤師、インテリアコーディネーター、学校の先生、漫画家・・・
いろいろな職業を口にしていました。

でも、統一感がないですよね?

それは周りの人が求めるものや、他人の夢に合わせようとしていたからなんです。
私が自発的になりたいと最初に思ったのは「お母さん」でした。
(ピラミッドとか古代遺跡のような不思議なものが好きで
考古学者になりたいと思っていた時期もありましたが)

私の母は、料理はもちろん、裁縫や編み物が得意で
私が小さい頃、母は仕事の合間を縫って、ドーナツやクッキーなどのお菓子を
作ってくれましたし、私には妹が一人いるのですが、姉妹お揃いのスカートや
ワンピース、ピアノのレッスンバッグを縫ったり、セーターを編んでくれたりしていました。

家には母が編んだレース編みのクッションやあみぐるみが
当たり前のようにありましたし、着物の着付けができて、生け花を習い、
お茶を立てる道具も一式揃えている上に、週末になるとママさんバレーの試合に
私達を連れて出かけるような人でした。

そして、体調を崩して入院してから、母は病院に出かけて行って会う存在になり
移植手術を受けて一時は退院したものの、その後、私が13の時に他界しました。

いつも何かをしていて、クルクルと動き回っている母は
私にとっては憧れで、スーパーマンかそれ以上の存在であると同時に
そばにいてほしい時に手に届かない存在だったんですよね。

何でも出来ちゃう、いつも子どものそばにいてあげられるお母さん。
それが私の理想であり、夢でした。

ただ、幼かった私は、お母さんになるのが夢だとは言えませんでした。

周りの子達はみんな、お花屋さんや、ケーキ屋さんになりたいと言っていて
気持ちが家の外に向いているのがとてもキラキラして見えました。
片や、家から出るというのが考えを持てなかった私は
内にしか目が向かない自分がとてもちっぽけに感じられて、恥ずかしく
本当の気持ちを友達や先生どころか親にも言えなかったんですね。

そんな私が上の子を授かった時、やっと夢を叶えられた。
これ以上の幸せはない。そう思っていました。

「専業主婦」にも「ワーママ」にもなれなかった私

少なくとも子どもが小さい頃は、お母さんというのは家にいて
子どもがさみしい思いをしないように
いつでも子どもの目の届くところにいるべき。

それが私の絶対でした。

今思えば、それは私の経験からくる理想という型に
何がなんでもはめ込もうとしていたのかもしれません。

下の子が生まれる前から、夫の仕事は右肩下がりで
転職を繰り返していました。
直接ではないものの、私に働いてほしいという意思を
伝えてはきていましたが、上のように子どもが小さいのに
母が家を空けることは許されないと自分に刷り込んでいた私は
聞く耳を持とうとしていませんでした。

当時、我が家では仕事の憂さを晴らすように夫の罵声が響き、
一度は息子を抱えた私に物が飛んできたこともありました。

方法はどうであれ、夫なりのSOSサインだったんでしょうねぇ。

…と、今では笑って言えますが、割と最近まで
本気で一生恨んでやると思ってました~(笑)

子どもの頃から自分に自信がなく、いじめにもあって
自己肯定感をマイナスに全振りしたまま学生時代を過ごした人間が
社会に出たらそりゃそうなるわなーと思われて当然なくらい
メンタルをバッキバキに折られて逃げるように専業主婦になった私は
もう一度そんな恐ろしいところに戻りたくなんかなかったんですね。

家と言える殻をひっぺがしてナメクジ状態にして
カラッカラの砂漠にでも放り投げられる
カタツムリを想像してみてください。

はい、
終わった。

ですよね(笑)


専業主婦になる前に働いていた職場の社長のご厚意で
元の職場に再就職させていただいて、働けるという状況的には
とてもラッキーだったんですよ。

でも、家を一歩出たら過酷な砂漠に見える者にとっては
毎日毎日を何とか生きるのが精一杯で、チャンスとか
会社のため、周りの人のためなんて考えることは
とてもできませんでした。

朝起きて、朝食を作って、上の子が学校へ行くのを見送って
下の子を自転車に乗せて保育園に送り届けて出社、定時になったら
また電車に揺られて息子を迎えに行き、帰宅した時点でヘトヘト。

幸いにも?夫はその時点でサラリーマンではなく
私が息子と帰る頃には家で晩ごはんを作ってくれていましたので
家の方は何とかそれでやって行ける状態でした。

ただ、職場は別。
残業するのが当たり前の業種で時短勤務で定時上がりなんて
ただでさえ風当たりが厳しいところに、出戻りで仕事覚えが悪く、
虚勢すらも張れないオバサンのいる場所があるはずないんですよね。

ある日、私は遂にお世話になった社長に肩を叩かれました。
リストラってやつです。
我が家は子ども2人抱えて定職を持つ者がいない状態になりました。

人生究極の選択!

会社に行かなくてもいい。

精神的にはやっと地獄のような日々から開放された感覚でしたが
生活はそれに反比例してあっという間に厳しくなりました。

私の精神的な辛さを訴えても、夫も追い詰められていたので
当時は口を開けば喧嘩になってしまうような状態で
まともに話なんてできませんでした。

情けないことに、田舎の父にお金を借りなければならないくらいにまで
なって相談すると、これまでの状況から離婚して帰ってこいという話に
なりました。

父は母が亡くなって2年後に再婚しています。
車がなければ移動もままならない実家は
父と再婚した継母、彼女の息子2人のうち、一人が同居する3人暮らし。

そこに田舎暮らしを知らない子ども達を連れて帰ることを想像した時、
上の子は既に高校生で大学受験も視野に入っている時期で
連れては行けないと思いました。
下の子も小学校に上がってやっと友達が出来てきたばかり。
それでも、田舎に帰れば私の収入がすぐにはなくてもとりあえず生活はできる。

親に逆らってもう一度気持ちを奮い立たせて家族をやり直すのか
私の一存で家族を解体して新しい生活を始めるのか

すぐにでも答えを出さなければ行けない状況でも
私はグズグズ…意思決定がなかなかできず、めちゃくちゃ悩みました。

それでもいよいよ決めなくてはとなった時、
どちらにするのが家族にとって正しいかではなく、
どっちに自分の未来を想像できるか…というよりも
一つを選らんだと想像して気持ちがモヤモヤしない方を選びました。

お分かりかと思いますが…
その答えが、今です。

自分に覚悟を持てるか


私の人生史上最大の選択をした結果、すぐに事態が好転した。
…なんてドラマのような展開には現実はなってはくれませんでした(笑)

それどころかそれまで隠されていたいろんな人の本音がむきだしになって
かなり傷つく辛辣な言葉をかけられたり、慣れない仕事を選んで
体調を崩したりもしました。

それでも、実家に帰らないと決めた自分の選択を
私は後悔したことは一度もないんですよ。

それは多分、究極の選択を迫られて、逃げ道をなくして
ようやく私が腹を括れたから。

それまでを思い返してみると、自信の無さから自分では決められなくて
人の顔色を伺っては、その場凌ぎで答えを出していました。

自分の本音ではないからいつも何処かに不満を持っているのに
そんな自分を認めるのも嫌で、常に内側に怒りがある状態。

怒りがプラスに働く時は自分を鼓舞するチカラになるけど
ほとんどはマイナス方向に働いて、それが「消えてしまいたい」と
思わせている原因なんだと思い至りました。
意思決定を自分以外に求める「他人軸」で生きて来たことに気づいたんですね。

全てにおいて、それまでの私には覚悟が足りなかったんです。
「自分軸」で生きる覚悟が。

とはいっても、今も優柔不断なとこはあるんですけどね(笑)
人はそんなにすぐには変われませんし、
ましてや私はダメダメなところから始まってるので、一歩ずつです。

ダメダメな自分を許してあげられるようになると、
不思議と許せないと思ってきた人の事も許せるようになってくるんですよね。
むしろ、今の自分があるのはあの時のあの人のおかげだな~
ありがたいなとすら思えるようになってりして。

許せなかったとしても、許せないその人はその人なりの理由があるし
他人を変えることはできませんから。
それなら、自分の捉え方を変えればいいんです。

つまり
許せない人を許せないと思う自分を許せばいい。

家事を完璧に出来ない自分、仕事でうまくいかない自分、誰かを責めてる自分、
消えたいと思う自分も全部一旦許す。

こうやって書いていても、考え方のクセが生まれてから何十年と
ついてしまってるので、気を緩めるとすぐに
許せない気持ちが出てくるのですが…そんな自分も許します(笑)

「自分軸」を取り戻す合言葉

では、ここまで読んでくださった方へ、
イライラやムカッとする気持ち、愚痴が口から出てきそうになった時に
頭の中で思い浮かべたり、時には実際に言葉に出して言うといい
とっておきの合言葉をお教えしますね。


それは
自分の機嫌は自分で取る!
です。

私と夫は食の好みから趣味まで全く違う人なので
よく意見がぶつかります。

また、夫は大阪生まれの大阪育ちで、島根の田舎で育った私には
投げかかられる言葉がとてもキツく感じることがあるんですね。
夫が何気なく言った言葉でも、グサッと心に刺さって傷つくことが
今でもあります。

それに夫婦なんて所詮他人同士ですから
生まれ育った環境の違いで不満を言い出せばキリがありません。
少し前の私であれば、夫の些細な言動にいちいち反応しては
傷ついたり、腹を立てていました。
何週間も一言も口をきかなかったことも
1度や2度どころではありません。

でも、それって夫の言葉や行動に振り回されて勝手に私が
イライラしたり落ち込んだりしてるだけで
夫はというと言ったことなんて忘れてケロッとしてるんですよね。

こっちは言われたこと、されたことを何度も頭で繰り返して
忘れられないでいるのに、それこそムカつくじゃないですか!(笑)

相手が覚えていないくらいのことなら
こっちも受け止めなければいい。無視するとか、聞き流せばいいんです。
そう思えるようになってから、夫が何か言ってきたりしても
少しづつですが気にならなくなってきています。

それから、もうひとつ。
もし、自分の機嫌を取っていてもどうにもならない
八方塞がりの状況になった時は

なんとかなる

と言ってみてください。
なんとかする。ではなく、「なんとかなる」です。

どんなにしんどくても、眼の前が真っ暗な状況でも
なんとかなる。
どうにもならないと思ってもまずなんとかなると言ってみる。

繰り返し繰り返し言いながら一日、また一日、過ごしていると
生きている間に状況は変わっていきます。

ただし、私は逃げてはいけないと言ってるわけではありません。
逃げる必要がある時は
自分を何よりも優先して、許して、大切にしてください。
必ず自分に合う、必要とされる場所がありますから。

結びとして

家事も仕事も自信がなく、長い間「他人軸」で生きてきた私は
究極の選択を経て「自分軸」を見つけました。
自分で選び、行動することで、過去の経験が意味を持って
自分を許して、他人にも寛容になれる方法をみつけることができました。

つむり
つむり

もし人生に迷ったり、壁にぶつかって悩んでいる方は
「自分の機嫌は自分で取る」「なんとかなる」の
合言葉を試してみてくださいね。
最後までお読みくださって、ありがとうございました!

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