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【趣味】絵に個性は必要?

uca.
uca.

こんにちは。uca.です。
今の私にはありがたいことに
uca.さんの表現が好きです。とか、
uca.さんの使う色が好きと
言ってくださる方がいます。

そうした方がいてくださる中で
今でこそ絵の講師をしたり、
こうやってブログを書いたりしている私ですが
元々自分の絵に自信があったわけではないんです。

つむり
つむり

自分のことをカタツムリ主婦って言うくらい
だもんね~

uca.
uca.

そうそう!
こんな私だからこそ書けることもあるんじゃないかなと
思うんですよね。

そんなわけで今回は私が悩んだことの一つ、
個性について書いてみたいと思います。

個性がないと悩んだ時期

私は小さい頃から大人になってからもずいぶん長い間
自分自身に個性がないと思っていました。

人が発している個性に圧倒されてしまって
自分が何の取り柄もない平凡な存在に思えて
他の人と比べてどれだけ無個性かと
感じる状態でいるのが日常だったんですよね。

だから当然、描く絵にも個性を感じられなくて
誰かに褒めてもらえても
その言葉を素直に受け取れずに
キレイだったりカッコいい絵が描ける人を羨んでばかりいました。

今思うと、なんて勿体ない時期を過ごしてきたんだろうと感じるし
私の絵を好きだと言ってくれた人に対しても
自分に対しても、とても失礼だったなと感じています。

少し話がずれますが、思い出したことがあります。

短大を卒業して就職した会社で、先輩に聞かれたことです。
良かったらあなたも考えてみてください。

その質問は

あなたにとって、これまで作ってきた(描いた)作品は
宝物?それとも排泄物?

です。

どうですか?

当時、二十歳そこそこの私には、その質問が何を意味しているのか
何を求められているのか全くわかりませんでした。

聞かれるがまま、思ったままに私は「宝物」と答えました。

私の答えを聞いた先輩の返事は
「そうなんだね。自分にとって作品は排泄物なんだよ」でした。

意味を聞いても先輩は笑って答えてくれなくて
そのことについてそれ以降聞く機会もありませんでした。

だから、先輩の真意の程はわかりませんが
今でも私にとって作品は「宝物」に変わりはなくて
分身とも言える自分の一部です。

当時の自分も自信はなくても作品は内から生み出したものを
「排泄物」と捉えることはできなかったんですね。

ただ、上司から信頼されて仕事をバリバリこなしていた先輩の答えと
自分の答えが違うのはダメだと否定されたような気がして
落ち込みました。

今なら捉え方の違いでどちらがいいとか悪いの話ではないと
わかるんですけどね。

個性って?

つむり
つむり

タイトルから出てきてるけど
そもそも個性ってなんなの?

uca.
uca.

単刀直入にきたね~(笑)
私も書いておきながら、上手く答えられないというか
いざ考えてみるとわからないので
心理学や哲学ではどんな風に捉えられているのか
ちょっと調べてみました。

個性について

心理学者のアドラーは
「人は他者との関係の中でしか存在しない」と言ったそうです。
これは、私たちの個性は他の人とのつながりの中で作られるという意味で
友達や家族、周囲の人との関係がどのような人になるかを形作る
ということなんだそうです。

ドイツの哲学者、ニーチェは
自己超克、つまり「自分自身を超えること」が大切だと伝えています。
常に自分の限界を乗り越えて、新しいことに挑戦することが
個性を育てると言う考え方です。
たとえば、何か新しい趣味を始めたり、
苦手なことに挑戦することが、自分らしさを育てて行くという意味ですね。

また、古代ギリシャの哲学者、アリストテレスは
「人間は社会的動物である」と言う言葉を残しています。
人は一人では生きられず、他の人とのつながりが大事で
他の人に親切にしたり、助け合ったりすることで
個性は豊かになるという意味だそうです。

まとめると、個性とは、一人一人が自分らしくあることで
その自分らしさは他の人とつながる中で、自分を超える挑戦をし続けて
他の人と関わり、良い関係から生まれるもの。
ということになるでしょうか。

個性は消そうとしても出てくるもの

個性について、心理学や哲学者の言葉を借りて書きましたが、
私自身は個性はどんなに消そうとしても出てくるものだと
今は思っています。

自信が持てずに個性がないと思っていた私が
どうしてそう考えられるようになったかは
長くなってしまうのでここでは省きますが
きっかけになった本をご紹介しますね。

とても有名になのでご存じの方は多いと思いますが
気になっているけどまだ読んだことがないという方には
是非手にとってみて欲しい一冊です。

私たちは日常生活の中で、
自分がどう振る舞うかコントロールしているつもりでいますが、
どう頑張ってみても自分の内面の特性というものは
必ず表面に現れてくるものです。

これと同じように、描く絵にも、
その人それぞれの内面にある個性が必ず外側に出てきます。

例えば、
特に絵の講師をするようになって、生徒さん方が描かれる絵を
見させていただくようになってからは
上手いとか下手とかではなく、その人それぞれの
見え方、感じ方や捉え方があって、線1本取っても
クセや性格、力のかけ方の違い全てに個性が現れているのを
目の当たりにして感じています。

生徒さんが描かれた絵を見るだけで
どなたが描いたものかわかる。違いがある。
それこそが個性で、意図的に作り出そうとしなくても
すでに表れ出ているということなんですね。

これは全ての人に当てはまることだと思います。

自分では気付けないだけ

多くの人は自分の個性に気付くことができません。

それはあまりにも自然に、
自分にとって当たり前に備わっているものだからです。

しかし、これを他人の目から見ると、
その人にしかないものとして映ることがあります。

私は推し活をしていて、推しのファンアートを描いていますが
自分はただ写真を模写しているだけだと思いながら
長年描き続けていました。

模写というのは、見たそのままを描き写すことです。

見たままなのであれば、そこに現れるのは
技術の練度の違いだけで、そこに個性は入りこまないと考えていました。
そして、写真を見たそのままにすら描けない自分を
評価することができませんでした。

しかし、全く同じ写真を何人もの人が描いていたとしても
私が描いたものには私らしさが出ていて、それが好きだと
中には、「癒やし」だったり「救い」になったとさえ
伝えてくれた人が一人だけでなく、何人もいてくれました。

例え写真そのままに描けていなかったとしても
私の絵が見た人にとって「癒やし」や「救い」になることがある。
そのことに気づいた時、自分の考えは間違いだったとようやく
受け入れることが出来たんです。

こうしたフィードバックを受け取っていく過程で
私は自分の個性を再認識することができました。

個性は意識的に作り出していうものではなく、
自分のあるがままを受け入れて、そのままでいる。
それだけで自然に現れて伝わるものなんだと
分かるようになりました。

もちろん知識をつけて技術を磨くことはとても大切です。
何でもそうですが、基礎がなければ表現したいことはできません。
ただ、その人の持つ環境や習慣から培われた内面から溢れ出てくるものが
作品の味となって魅力あるものになると
言えるんじゃないかと思います。

個性を育むために

個性を育むためには、まず個性は自分の中に既に十分あると
知ることが大切です。

〇〇が好き、△△は苦手といった些細に感じられるものも
その人を表す個性です。

だから、好きなもの、心惹かれるものにできるだけ沢山
触れてみてください。
それが内面を充実させてくれます。
自分がワクワクできることがあればあるほど
心は満たされて、魅力あるものとして外側に溢れ出て行きます。

内から外へ溢れたものは個性として人に認識されるものになり
絵を描けばそれは作品にも現れることでしょう。

結びとして

絵に個性は必要か?その答えは「はい」です。
しかし、その個性は意識的に作り出すものではなく、
自然に現れるものです。

私たちは日々の生活の中で、自分の個性に気付ける人は多くはありません。
ですが、人には顔があり、それを個人と認識できるように
どんな人にも個性はあって、同じものは一つとしてありません。

個性をより伸ばしていきたいのであれば
好きなもの、心惹かれるものにできるだけ沢山触れて育むことが大切です。
内面が充実してワクワクで心が満たされれば、
それは魅力ある個性として自然と外側に溢れ出て行くはずです。

そうして描いた絵はきっとあなたにしか表現できないもので
見る人を魅了するものになるでしょう。

つむり
つむり

最後まで読んでくださってありがとうございました。


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